杉山彦三郎翁頌德碑 参議院議員 河井彌八先生篆額
杉山彦三郎翁は安政四年七月五日静岡縣安倍郡有度村中吉田に生る夙に茶業の發達に
意を注ぎ明治二十二年居村有度村茶業委員に選ばれ任を累ぬること實に二十五年越え
て大正九年安倍郡茶業組合長に舉げられ昭和十三年に至るまで勤續十有八年を算ふ又
静岡縣茶業組合連合會議員茶業組合中央会議員として茶業界の發展に盡力せられしこ
と舉げて數ふべからず翁は茶樹に早中晩生と優劣の種別あることを發見しこれが研究
に没頭せしが業績俄かに舉がらず為に家産を傾け剰へ試験地を奪はるる等幾多の苦難
迫害を受けたるも屈せず克く緑茶用紅茶用の優良品種の選定に成功せり特に中生藪北
種は翁多年研究の精蕐にしてその品種の優良なると収量の多きとは將に天下の稀品た
り為に業者争って之を栽培し既に飛躍的増産の域に達し翁が積年の宿志全く達せられ
たるの感あり即ち翁が茶樹品種改良の基礎と方向とを示されたる功績は本邦茶業史上
燦として不滅の光を放つべく往年今上陛下の御巡幸に際し拝謁の光榮を荷はれたるは
翁が隱忍刻苦克くこの難事を完成したる功績に酬いられたるものと謂ふべし翁志操髙
潔事に當りて熱誠而かも名聞を求めず孜孜として所信に邁進し苟も公益に資するもの
は吝みなくこれを公開指導し終生茶樹品種の改良に專念して私事を省みず洵に本邦茶
業界の先覺として敬仰措く能はざるものあり今や平和回復して貿易は再開さられ我が
國力の復興は繁つて輸出貿易に俟つの秋優良製茶の増産は特に本縣茶業者に課せられ
たる重責と謂ふべき玆に翁の偉業を偲び有志相謀りて本縣茶業各種團體の協賛を得て
頌德碑を建設しその功績の一斑を勒して後昆に傳ふと云爾
昭和二十五年四月 大村利平撰
靑山於菟書
(訳)