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草薙の変わりモノ紹介 なんじゃこりゃ!?
第34回 なんじゃこりゃ!?
「杉山彦三郎顕彰碑」

 今回の「なんじゃこりゃ」は、この写真。

 静岡鉄道「県立美術館前」駅から、県立美術館に向かってすすむと、右手に「第4回なんじゃこりゃ」で紹介した「やぶきた原樹」がある。
 「やぶきた原樹」の後ろには、2つの碑があり、向かって左側が、前回(第33回なんじゃこりゃ)紹介した「栄西禅師碑」、今回紹介するのは右側の碑だ。

 これは、やぶきた茶の茶樹を選抜した杉山彦三郎氏を讃える碑だ。

 「やぶきた」の名は誰もが一度は聞いたことがあるだろう。言わずと知れた茶の品種の名前だ。静岡県内で9割、全国の8割を占める優良種である。つまり日本人の8割は同じ遺伝子を持つ茶葉で煎れた茶を飲んでいることになる。
 その茶葉を「選抜」したのが、杉山彦三郎氏だ。「選抜」という事は、品種改良ではなく、たくさんの茶樹の中からたった1本、この茶樹を探し出した、という事だ。この「やぶきた」が「選抜」されたのは、明治後期。当時は品種改良などという概念も知識もなかったため、「選抜」しか方法がなかったのだ。

 「杉山彦三郎氏」、「やぶきた」については、「第3回なんじゃこりゃ」で。

 この碑は、昭和25年(1950)4月、杉山彦三郎氏の功績を讃え、有志によって建てられた。

頌德碑

杉山彦三郎翁頌德碑   参議院議員 河井彌八先生篆額
杉山彦三郎翁は安政四年七月五日静岡縣安倍郡有度村中吉田に生る夙に茶業の發達に
意を注ぎ明治二十二年居村有度村茶業委員に選ばれ任を累ぬること實に二十五年越え
て大正九年安倍郡茶業組合長に舉げられ昭和十三年に至るまで勤續十有八年を算ふ又
静岡縣茶業組合連合會議員茶業組合中央会議員として茶業界の發展に盡力せられしこ
と舉げて數ふべからず翁は茶樹に早中晩生と優劣の種別あることを發見しこれが研究
に没頭せしが業績俄かに舉がらず為に家産を傾け剰へ試験地を奪はるる等幾多の苦難
迫害を受けたるも屈せず克く緑茶用紅茶用の優良品種の選定に成功せり特に中生藪北
種は翁多年研究の精蕐にしてその品種の優良なると収量の多きとは將に天下の稀品た
り為に業者争って之を栽培し既に飛躍的増産の域に達し翁が積年の宿志全く達せられ
たるの感あり即ち翁が茶樹品種改良の基礎と方向とを示されたる功績は本邦茶業史上
燦として不滅の光を放つべく往年今上陛下の御巡幸に際し拝謁の光榮を荷はれたるは
翁が隱忍刻苦克くこの難事を完成したる功績に酬いられたるものと謂ふべし翁志操髙
潔事に當りて熱誠而かも名聞を求めず孜孜として所信に邁進し苟も公益に資するもの
は吝みなくこれを公開指導し終生茶樹品種の改良に專念して私事を省みず洵に本邦茶
業界の先覺として敬仰措く能はざるものあり今や平和回復して貿易は再開さられ我が
國力の復興は繁つて輸出貿易に俟つの秋優良製茶の増産は特に本縣茶業者に課せられ
たる重責と謂ふべき玆に翁の偉業を偲び有志相謀りて本縣茶業各種團體の協賛を得て
頌德碑を建設しその功績の一斑を勒して後昆に傳ふと云爾
      昭和二十五年四月            大村利平撰
                          靑山於菟書

(訳)
 杉山彦三郎氏は安政4年(1857)7月5日静岡県安倍郡有度村中吉田(現・静岡市駿河区中吉田)で誕生した。
 夙に(つとに=以前より)茶業の発達に心血を注ぎ明治22年(1889)有度村茶業委員に選ばれ、その任を重ねること実に25年を越える。大正9年(1920)には安倍郡茶業組合長に推挙され、昭和13年(1938)に至るまでの18年間勤めた。
 又、静岡県茶業組合連合会議員、茶業組合中央会議員などとして茶業界の発展に尽力した。
 氏は茶樹に早・中・晩生と優劣の種別あることを発見し、その研究
に没頭したが、業績はすぐには良くならなかった。研究に私財を傾けたり、剰へ(あまつさえ=事もあろうに)試験地を没収されてしまう等、多くの苦難・迫害を受けたが、それにも負けず、緑茶用紅茶用の優良品種の選定に成功した。
 特に中生藪北種(やぶきた)は氏の多年研究の成果で、その品種の優良さと収量の多きとはまさに天下の逸品で、業者が争ってこれを栽培し、飛躍的増産の域に達し、氏の積年の志が達せられ
た感がある。
 氏が茶樹品種改良の基礎と方向とを示した功績は日本の茶業史上、燦として不滅の光を放っている。
 今上陛下(昭和天皇)の御巡幸に際し拝謁の光榮を受けたのは、氏が努力して、この難事を完成した功績に酬いられたるものといえるだろう。
 氏は初志貫徹の精神で事に当たって、熱心、しかも有名になろうとせず、苟も(いやしくも=少しでも)人の役に立つ事は吝みなく(おしみなく=惜しみな く)これを公開指導し、終生茶樹品種の改良に専念して私事を省みず、洵に(まことに=真に)日本の茶業界の先覚として敬われるべきものである。
 今や(昭和25年1950年)平和回復し、貿易は再開され我が国力の復興はすばらしく、輸出貿易に俟つ(まつ=期待される)秋優良製茶の増産は特に本県茶業者に課せられたる重責といえるだろう。
 ここに氏の偉業を偲び有志協力し、本県茶業各種団体の協賛を得てこの「頌德碑」を建設しその功績の一端を勒して(ろくして=書きとどめ)後世につたえるものである。
      昭和25年(1950)4月                            大村利平 文
                  靑山於菟 書





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