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並木通り(美術館から南幹線へつづく一本道)を県立大学から 少し下ると、左手側になにやら青い網に囲まれたちょっとしたオーラを 放っている樹木がある。
それが「やぶきた原樹」である。
樹齢150年、標高1.9m、数本の継ぎ木に囲まれたその樹木は黙々と緑に輝いている。
「やぶきた原樹」を語る上で避けて通れないのが故杉山彦三郎翁である。 杉山彦三郎は、安政4(1857)年、静岡中吉田に生まれた。父は造り酒屋のかたわら漢方医を営んでいたが、彦三郎は、家業は弟にまかせて農業に従事した。当時この地は茶業の草創期で、品質は粗悪なものであったという。
彦三郎は、良い芽を摘むにはどうしたらよいか思案し、品種選定や改良について学問的基礎知識がないまま、試験を繰り返し続けた。しかし品種改良という概念が無い時代、品種改良に没頭する彦三郎は異端視され続けた。
明治41年(1908)谷田の試験地に隣接した竹薮を開墾した茶園の中から2本を選抜し、北側のものを「やぶきた」南側のものを「やぶみなみ」と命名した。これが「やぶきた」のはじまりである。
しかし、周囲の理解は得られず、昭和9年(1934)、谷田の試験地を茶業中央会議所に取り上げられ、二十数年の研究成果である茶樹は、山積みにして焼却されてしまったという。
六十余年に及ぶ品種改良の功績を残しながら、「やぶきた」の隆盛を見ることなく、彦三郎は昭和16年(1941)2月7日、84歳で生涯を閉じた。
「やぶきた」が本格的に普及をみたのは戦後になってからである。霜に強く収穫が安定していることから、「やぶきた」は昭和30年(1955)に奨励品種に指定され、茶輸出、改植新植ブームに乗って爆発的に普及した。現在全国の8割、静岡県内では9割のシェアを占め、それまで植えられていた在来種に取って代わった。
「やぶきた原樹」は元々静岡市谷田159番地にあったものを、杉山彦三郎翁の栄誉を永久に称えてこの地に移植したものである。
昭和36年(1961)には、県指定天然記念物となった。
静岡はお茶の土地だという。
その代表選手というべき存在がこの「やぶきた原樹」なのだ。
「静岡のお茶が好きだ」という人は是非一見の価値ありなのだ。
(2006.12.15 加筆 めきゅ) |
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