草薙神社に出る。 「ここがあの、前回の特集で取り上げた草薙神社か。なになに、、ヤマトタケルが蝦夷征伐に出かけて、この辺りで逆賊に襲われた時、タケルが天叢雲(あめのむらくも)という剣を抜き、周りの”草を薙ぎ払い”、火を敵の方へ向けて危機を脱出した。だから草薙という地名になったのか・・・ その時、この辺りの豪族が死に、その首が祀られたのが「首塚」なのか..。でも、この言い伝えは1800年も前のこと、少し古すぎるのではないか、しかも近くに「首塚稲荷神社」という神社があるらしい...。 首塚神社に着く。草薙はもちろん、静岡全体を見渡せる、眺めのいい場所だ。が、ここに多くの首が眠っているらしい。 境内に進むと、なにやら今川氏の家系図が書いてある。当時の今川氏は、日本3大分家の1つで由緒正しい家柄で、そうなると、世継ぎ争いも頻繁に起こったらしい。なかでも、6代と7代の間では、かなり熾烈な世継ぎ争いが繰り広げられたとある。 7代の急死後、正統派の竜王丸と、傍流の小鹿範満(静岡市小鹿付近に勢力を張った)との間で、有土山を舞台に壮絶な戦いが繰りかえされた。竜王丸方には北条方の北条早雲(伊勢しんくろう)という戦術の天才がついた為、竜王丸の圧倒的勝利に終わった。 勝利側の遺体は丁重に葬られるが、負けた側の遺体などは誰も始末せず、野にさらされていたので、付近の百姓たちがその首をこの高台に葬ったのが「首塚稲荷神社」の発祥だということがわかった。 |
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