第28回 なんじゃこりゃ!?
「神戸麗山の墓」
今回の「なんじゃこりゃ」は、この写真。
第6回「なんじゃこりゃ」で紹介した東光寺さんの墓地の片隅にある。 |
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細長い石塔。写真ではわかりにくいが、六角柱の形状をしている。
このしゃれた石塔、江戸時代の画家、神戸麗山(かんべ・れいざん 1802〜1862)の墓と言われている。
神戸麗山は、幕末期の画家として多くの作品を残している。「庵原三山」のひとりである。
「庵原三山」とは、
清水区大内の「霊山寺」の天井絵(市指定文化財)を描いた「山梨鶴山」(1781〜1839)、
清水区山切「保福寺」の襖絵を描いた「柴田泰山」(1821〜1884)、
そしてここにお墓のある「神戸麗山」
の3人である。 |
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墓石には、戒名「冨山麗照居士」の文字と、
文久二壬戌年五月十七日 行年六十二才 と刻まれている。
麗山は、庵原郡松野村(富士川町)に、医師の長男として生まれた。
のち、家督を弟に譲り、京に上って岸岱(がんたい、1785-1865)のもとで学んだ。
特に富岳図を好んで描き、帰国後は伊豆、甲斐、遠江を遊歴した後、富士がもっともきれいに見える地として有度山麓を選び、ここに草庵を建てて絵を描き続けた。
1857年、孝明天皇に作品を献上申し上げたところ、天皇はこの絵を賞賛し、「天覧」の印を授かった。
派手な生活を拒否し、質素な生涯を送った。
一方で、酒を愛し、飲み代として「天覧」の印を手放した、という話もある。
没後、親好のあった東光寺に葬ったといわれている。
今も東光寺には、神戸麗山の掛軸が残っている。 |
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