第23回 なんじゃこりゃ!?
「草薙運動場」
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分祀されている草薙神社 |
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藤井寺球場」は藤井寺市にあるし、「神宮球場」は明治神宮外苑にある。
しかし、「草薙球場」は、静岡市駿河区栗原にある。
名前の由来である、静岡市清水区草薙の「草薙神社」からは約3kmも離れているのだ。
草薙球場でプロ野球の試合が行われる時、JR草薙駅で下車し、草薙球場を探し回る人をよく見かける。しかし、JR草薙駅から草薙球場に行くためには、私鉄線で西へ2駅も乗る必要がある。
なぜこんな紛らわしい名前にしたのか。
今回は「草薙運動場」の名付けのルーツを探りたい。
昭和15年、知事より、当時の有度村長に対し、静岡運動場設置の要望があった。
候補地として3地域が上がったが、結局現在の草薙運動場のある場所に決まった。
実はこの場所にはすでに運動場が存在していた。
大正11年、現在の草薙運動場より数百メートル西に、「古庄グランド」が静岡鉄道によって作られた。「作られた」といっても正式な野球場ではなく、田畑を平らにした粗末なものだった。
大正16年、静清国道(国道1号線)を通すに当たり、国道がグランドを横切ってしまう関係上、「古庄グランド」は廃止となった。
昭和5年7月、現在の草薙運動場の場所に、静岡鉄道によって「静岡球場」が作られた。
当時としては、明治神宮・甲子園・鳴海球場(昭和33年閉場)につぐ球場に数えられたという。
澤村栄治(なんじゃ14)が快投を見せたのはこの4年後。
そして静岡鉄道によって「静岡球場」が作られた10年後の昭和15年、この球場は、静岡鉄道より県に寄贈されたのだ。
総合運動場に整備するに当たって、知事は静岡市と清水市と有度村に寄付を要請した。
有度村の割当ては現在の価値にして1億円ほどだったという。
有度村村長は、一旦はこれを断ったが、東海道の松並木を売り、県の寄付に応じた。
その代わり「草薙神社を分祀する」という条件を付けた。将来「草薙」の地名を残すためと、草薙神社に敬意を表すためであった。
このようにして「草薙運動場」の名前は生まれた。
昭和15年に作られた野球場は昭和47年に取り壊され、昭和48年7月、現在のような野球場になった。照明灯が付けられたのはこの時。
尚、昭和15年に分祀された「草薙神社」は、現在も運動場の南東にある「エノキ広場」の一角にお祀りされている。
※「ふる里東豊田」 (静岡市立東豊田小学校PTA)を参考に原稿を作成しました。
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