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書いてある内容は以下の通り。 |
郷土民謡
「ちゃっきりぶし」 誕生の由来
・・・唄はちゃっきりぶし、男は次郎長・・・
「ちゃっきりぶし」は、
静岡鉄道が昭和二年狐ヶ崎に遊園地を開業した際、
その記念行事として当時文壇の雄であった、
北原白秋に作詞を依頼して誕生したものです。
歌詞は全部で三十章に及び、町田嘉章の
軽妙な作曲と共に、一世を風靡しました。
以来、「ちゃっきりぶし」は、
静岡県のみならず、日本の代表的な民謡として、
多くの人々に親しまれ歌い継がれ、
静岡の観光と産業の宣伝に貢献をしています。
よってここに狐ヶ崎全面改装にあたり、
その由来を記しました。
平成十一年四月吉日
静岡鉄道株式会社
(下段には「ちゃっきりぶし」の歌詞)
(「ちゃっきりぶし」の歌詞については、こちら) |
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平成11年以前にも、駅構内に「「ちゃっきりぶし」誕生の由来」の看板があったが、駅の全面改装に伴って看板も一新したようだ。
茶どころ静岡の民謡といえば「ちゃっきりぶし」。
もともとは今でいうCMソングとして作られたものである。
誕生は昭和2(1927)年。静岡電鉄(現静岡鉄道)が建設した「狐ケ崎遊園地」の開園を記念して、静岡の観光と産業宣伝にふさわしい歌を作ることになり、作詞を北原白秋に委嘱した。
最初は取り合わなかった白秋も、静岡電鉄の懸命の説得に心を動かされ、取材のため静岡市を訪れた。
当代随一の詩人を迎えた会社側は大張り切り、芸妓を集め、徳川慶喜公の屋敷跡・浮月楼(料亭)で盛大な歓迎の宴を張った。
白秋は静岡滞在中、連日豪遊を繰り返し、担当者をやきもきさせたが、土地の人間との付き合いの中から、静岡の人情、風俗、言語、習慣を洞察しようという詩作の姿勢は貫いていた。
こうして出来上がった歌詞は三十番にも及ぶ。
そこには静岡の穏やかな風土が、みずみずしい感性でうたわれ、方言もたっぷり織り込まれていた。
この唄を最も特徴づけているのが
「きゃあるが啼くんて雨づらよ」
(かえるがなくから雨だろうよ)というはやし言葉。
これは芸者がつぶやいた言葉を取り入れたとされるが、白秋は当初「啼くから」と書いた。
これを後に静岡出身の作家長田恒雄が
「方言では”啼くんて”と言います」 と指摘し、白秋はその通りに改めたという逸話が残る。
「狐ヶ崎遊園地」は、昭和43年、「狐ヶ崎ヤングランド」に改名し、平成5年閉園。
現在、跡地は「ジャスコ清水店」になっている。
「ちゃっきりぶし」について、さらに詳しくは、こちらへ。
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