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第20回 なんじゃこりゃ!?
「三世観峰居 句碑」

 静岡県立大学の正門を西へ通り過ぎ、しばらく進むと、左側に、この碑はある。
 高さ2.3m、幅80cm。
三世観峰居 句碑
「明けにたえ照りたえ雪の富士の山」
(表面)
    明妙照妙 
        雪の富士の山

      三世 観峰居渓翠

(裏面)
    昭和九甲戌年四月吉辰
    為糟屋渓翠師古稀齢記念建之
    観峰吟社支部 東雲会
    主幹 小林樵暇
    (この後、会員35名の姓と俳号)
 江戸期の俳壇は、芭蕉の門弟、いわゆる「芭門十哲」が主流を占めていました。

その「十哲」の一人に、
梅一輪一りんほどのあたたかさ
の句で有名な、服部嵐雪がいます。

 この服部嵐雪を祖として、雪中庵系が生まれ、代々「雪中庵」の名を世襲していきました。
 雪中庵系は、
世の中は三日見ぬ間に桜かな
 と詠んだ三世大島蓼太などがいる名門です。

 この雪中庵七世である村井鳳州は、明治維新の時、駿府に移り住んだそうです、

 その後
、旧幕臣が継ぎましたが、雪中庵は内紛で離散
 その元老のひとり、大村青渓が、「観峰居士」と称し、観峰居・初代となりました。

 そして、昭和9年春
 この碑は、三世観峰居70歳の古稀を祝って、建立されました。
 「三世観峰居」とは、裏面にも名前のある「糟屋渓翠」のことで、この「明妙照妙・・・」の句も、渓翠の作です。

 裏面には、会員35名の姓と俳号が刻まれています。
 これらの人たちは、皆、当時の有度村民だそうです。

 明治末から昭和初期頃まで、この地区では俳句が盛んであったといわれています。
 明治43年の草薙神社の句会には、16500余句が集まったという記録があります。

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