|
|
|
信楽焼のたぬきの足下あたりにも、もう一つ碑がある。 |
|
静鉄御門台駅で下車し、南に向かって進む。 左に小学校、右に公民館を見ながら坂を上っていくと、南幹線にぶつかる。 南幹線を右に曲がり、しばらく進むと、右側にこの碑がある。
「第4回 なんじゃこりゃ」で紹介した「日本一の信楽焼のたぬき」のとなりです。
慶長9(1604)年、徳川幕府は、家康のもとで財政を担当した幕僚大久保長安と一里塚奉行に、主要5街道に旅をする際の距離の目安として、1里(約3.92q)ごとに盛り土をし、てっぺんに1本木を植えるよう命じた。
一里塚は、東海道では、全部で124ヶ所築かれた(らしいです)が、この一里塚は、江戸から数えて43番目の塚です。
当時は、この碑が建っている辺りと、道を隔てて南側に、5間(9m)四方、高さ1間(1.8m)の塚が左右一対となって築かれており、塚のてっぺんには榎が植えられていたという。
現在は塚はなく、碑のみが残っているだけですが、この辺りは「草薙一里山」という地名になっており、地名として、その存在が地元民の中で根付いている。
Hat's Room さんのページに、一里塚の一覧が載っています。
ご参照ください。
|