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木が茂っているところに碑がある。 |
並木通り西側にある「宮の後公園」。
左手前、右側、中央奥に見える小山は全て古墳。
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表面には「山神」。
裏面には「大正五年初春吉辰 正五位勲三等 大谷嘉兵衛 敬書」とある。
大正5年は西暦1916年。今からおよそ90年前です。
静鉄県立美術館の駅を降り、並木通りを進む。そろそろ公園というところに、美術館・図書館の開館・閉館情報や、駐車場の満・空情報を案内する看板がある。 この看板の裏手にこの碑はある。
谷田・熊野三柱神社(並木通りの駅から3つ目の信号を右)より県立美術館西側斜面に至る一帯は、古墳が多数築かれていたそうです。
明治時代、お茶の栽培のため、この一帯は開墾され、その際、勾玉、太刀、金銀で装飾された器物、土器類など、多くの遺物が出土したそうです。
その一部は個人蔵として収蔵されているものもあるそうですが、当時は古墳やその遺物が文化財という認識がなかったようで、ほとんどが所在不明となってしまっているそうです。
さて、そして大正時代。
ここに「茶業研究所」を設置することになり、工事を始めたところ、古墳の土器破片など多数が発掘されたそうです。
そこで、当時茶業中央会会頭・大谷嘉兵衛(この碑の「山神」の字をを揮毫した人物)の指図で、これをこの地に埋め、古墳の慰霊のため、山神碑をたててお祀りしたそうです。
それがこの碑です。
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