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火打石が入っていた。
そこで日本武尊とは天のむら雲の剣で草を刈り取り、刈った草に火打石で火をお付けになった。
すると、火は燃え上がり、逆風にあおられ、火は敵のほうに燃え移ってしまった。
弟橘姫と共に脱出した日本武尊は、敵を追いかけ、皆切り殺して、直ちにすべてをお焼きになった。
このときから、駿河の地は「焼津」と呼ばれるようになった。
また、天のむら雲の剣は、日本武尊の危機を救った由来から「草薙の剣」と呼ばれるようになった。
(第一部完)
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